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 1978年4月に、山田で最初の礼拝をささげ、それから、牧師宅、市民センターの一室、サンエフ(現在のいかりスーパー)2階、山田東のビルの一室、山田西の民家を改造した教会と、30年間の歴史をつむぎました。“山田にキリスト教会、礼拝堂を”と祈り続けたちょうど30年後の2008年春、この地に礼拝堂を献堂することができました。(設計:株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所、施工:株式会社藤木工務店)
 この礼拝堂のつくりは、礼拝堂とホールを隣に並べ、聖なる礼拝と日々の生活を隣にし、その両者を神様が豊かなご真実と恵みの中で調和させて下さることを喜び、覚えるものです。Contemporary(現代の)とtraditional(伝統の)が豊かに調和したものです。

「礼拝堂のこころ」のなかで、その“こころ”と“祈り”と“聖書の、み言葉”をシリーズで紹介していきたいと思います。

■CHAPTER■
●十字架
●主の食卓と12の椅子
●この教会:礼拝室正面聖壇の生命

●「インテリア設計士協会 大阪支部(OIS)」では次のように紹介されていました

『献堂 千里聖三一教会(献堂Ⅲ)』より牧師の記


 礼拝堂の正面高い位置で輝くガラスの十字架は、天上の礼拝(聖書:ヨハネの黙示録第4章:天上の礼拝)を象徴的に表明し続けます。ブルーは海の色(4章6節)を表しています。この十字架は、八田(はちだ)雅博先生(株式会社マサズ代表取締役社長)が制作して下さいました。黄金色が組み込まれたこのガラス細工の十字架は、陽光によって、その色が絶妙に変化して輝きます。

 (牧師の言葉より)
その制作プロセスで、八田先生がおっしゃった言葉は、感動でした。
「・・・私も、制作に精魂を傾け、納得いくまで努力します。それでも、私の作品も、いずれ壊れるものです。しかし、その壊れるもので、壊れない、目に見えない、永遠の真実、価値を現わそうとしています。これ、大事なのでありませんか?それで善いのでないですか?満足してよいのでないですか?」
 アーティスト八田雅博先生の、気さくで、笑顔を絶やさず、誠実で、美と命のあくなき探求者の、崇高な精髄に、引き込まれ打ち浸されたのでした。

聖書の一句

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
 見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」

(コリントの信徒への手紙二 4章18節)


『献堂 千里聖三一教会 (献堂Ⅲ)』より




 十字架の真下に配置された、“主の食卓”と“12の椅子”は、主イエス・キリストが制定された“聖餐(せいさん)”:聖三一(せいさんいつ)の神の命をいただく典礼の場です。これは、パンとぶどう酒で、主イエス・キリストがなされた伝統に基づいて執り行われる聖餐を重視したもので、イエス様が十字架上でなして下さった贖い(あがない)と復活の命にあずかる場です。
 私達の教会では、この「主の食卓」を教会の宝として以前の礼拝堂から聖なる大切なものとして持ってきました。この「主の食卓」のほか、陪餐椅子、説教壇、会衆席長椅子、牧師・司式者椅子、花台と、聖具一切をただお一人の方が制作して下さいました。

「制作者の思い」      有限会社サムエル 岡田勝之 様
  主が最後に弟子たちと食事の席につかれたことを思いながら、テーブルを中央に、まわりに12脚の椅子を置きました。当時の椅子もこのようなつつましやかな作りではなかったかと思います。ぶどうの木でぶどうの模様を入れ、一脚一脚が弟子たちの個性のように、少しずつ形がちがっています。聖餐にあずかる信徒も同じように個性がありながら、この椅子のように一本の一枚の木から切り出されたようにつながっているという意味です。 
『献堂 千里聖三一教会 (献堂Ⅲ)』より




それは、父である神、子である神イエス・キリスト、
聖霊である神、すなわち、聖三位一体の神のお働き
による、「天上の礼拝」・「主の食卓と其処への招き」であります。

・ 正面高い位置で輝く十字架は、黙示録第4章が見せる天上の礼拝を象徴的に表明し続けます。両脇のリブ(柱)は左右12本ずつで、24人の長老(すべての礼拝者の象徴)を覚えさせる心が込められています。

・ 中央、天井から床まで幅広いベージュの帯:エコカラットといわれる素材であらわすもの。色合いは躍動的に成長し輝く生命体・細胞(陽光が透して見せる血液の赤味)を覚えたい心で選ばれています。天上の礼拝の命が、大滝のように降り注がれている恩寵(おんちょう)の事実を覚えたいのです。命は余すところなく、主の食卓に直結しています。主の招きに応じて、聖餐に与る人たちを内側から生かし切ります。命の輝き、働きです。

・ 正面床、中央に配置されている机は、「主の食卓」であって、聖書、洗礼・聖餐用具、献金等を置く台ではありません。
 神の子キリストは、ご自身の命:体を“命のパン”で、神としてのご意志・御約束の真実さとその贖い(あがない)の業を成就して下さった尊い命の血を、“ぶどう酒(汁)”でシンボライズして、聖餐式を制定されました。それを頂き飲む信仰の行為を起こし、キリストご自身が陪餐者(ばいさんしゃ)の内に住み、内からその命を発揮して下さいます。この祝福にお招きくださるための「主の食卓」であります。12の椅子は、聖徒たちがこの聖餐にあずかって生きる光景を現したいものです。
  神の子キリストのご受難を想起して倣い、そのご臨在を祈り信じ、やがて確実に実現する創造の完成:歴史の終末的完成の将来を今・この大地での日々に生き生きと前味わいし、キリストとすべての聖徒たち、人々との命の絆・交わり・一体性に生きます。この恩寵(おんちょう)を伝え、証しします。

・ 説教壇を主の食卓と中央で重ねないで、並列して配置する心は、聖書と 聖餐の権威を同一として受ける姿勢です。

(牧師 森 大)


 

『献堂 千里聖三一教会 (献堂Ⅲ)』より